もう一度『スラムダンク』を読んで、
なんで泣いたのか分からなかった人もいると思う。悔しかったわけでもない。
後悔していたわけでもない。
ましてや、人生をやり直したくなったわけでもない。ただ、ページを閉じたあと、
しばらく何もしたくなくなった。この記事は、
その涙に、名前をつけるためのものだ。泣ける漫画を紹介したいわけじゃない。
名シーンを並べたいわけでもない。もう戻れない時間。
限界まで使い切った瞬間。
完成しないまま終わった努力。それでも、
あれでよかったと思っていい理由を、
『スラムダンク』の中から拾っていく。
これは、前に進むための記事じゃない。
立ち止まったままでも、
自分を否定しなくていいと確認するための記事だ。
第1章:僕たちは、なぜこのシーンを選んだのか

「泣ける漫画」と聞くと、
悲劇や別れを思い浮かべる人が多いと思う。
取り返しのつかない後悔。
失ったもの。
二度と戻らない時間。
でも、今回この記事で扱っている涙は、
そういう種類のものじゃない。
悔しさでも、懺悔でもない。
もっと静かで、
もっと説明しづらくて、
読み終えたあとに、少しだけ残るものだ。
名シーンを集めたわけじゃない
この記事では、
スラムダンクの有名な場面を網羅していない。
順位もつけていないし、
「一番泣けるシーン」を決めるつもりもない。
代わりにやったのは、
読み返したときに、
つい立ち止まってしまう場面を拾うことだった。
派手な逆転でも、
名言の連打でもない。
読み進められるはずなのに、
なぜかページが止まる。
その理由を、
あとから考えてみた。
「人生をやり直せる話」は、選ばなかった
大人になって読むスラムダンクは、
優しくない。
時間は戻らないし、
失ったものも返ってこない。
だから今回は、
「もう一度挑戦できる物語」は、
あえて選ばなかった。
代わりに選んだのは、
- 戻れないと分かっている過去
- 限界まで使い切った時間
- 完成しないまま終わる努力
そういうものを、
否定しないシーンだ。
この記事は、答えを出さない
この先に並んでいる章は、
「こう生きるべきだ」という話じゃない。
前に進めとも、
立ち直れとも言わない。
ただ、
読み終えたあとに、こう思えたらいい。
「あの時間は、無駄じゃなかった」
そう確認できるなら、
それだけで、この漫画は十分すぎる。
そしてこの記事も、
その確認の手助けになれたらいい。
泣くための記事じゃない。
泣いてしまった理由を、
あとから言葉にするための記事だ。
第2章:三井寿「安西先生……バスケがしたいです」は、やり直しの言葉じゃない

それでも原点に戻ってくる。
物語としては分かりやすいし、
実際、若い頃はそれで納得していた。
でも、歳を重ねて読み返すようになってから、
この場面に、少しずつ違和感が残るようになった。
やり直し、というには遅すぎる。
取り返した、という顔でもない。
それなのに、なぜか、この一言だけが胸に残り続ける。
僕には、言い訳に見えなかった
「安西先生……バスケがしたいです」
僕がこの言葉を信用してしまう理由は、
ここに説明が一切ないことだと思っている。
なぜ荒れたのか。
何が悔しかったのか。
どう反省しているのか。
そういうものを、
三井は何ひとつ語らない。
あるのは、
「バスケがしたい」という事実だけだ。
僕には、この言葉が
前向きな宣言にも、感動的な名言にも見えない。
格好は悪いし、
今さら感も強い。
それでも残るのは、
嘘をついていない、という感触だった。
読者の声を読んで、はっきりした
「やり直せたから泣いたんじゃない。
本当は好きだったものを、思い出しただけだと思う」── 読書メーター レビューより
「もう戻れないと分かっているのに、このセリフで泣いてしまう」
── Amazon コミックスレビューより
この感想を読んだとき、
僕はかなり強くうなずいた。
そうなんだと思う。
このシーンで反応しているのは、
「やり直せる未来」じゃない。
戻れないと分かっている過去のほうだ。
僕は、この言葉を「確認」だと思っている
三井は、人生を立て直したわけじゃない。
失った時間は戻らないし、
遠回りした事実も消えない。
それでもこの一言で示したのは、
「あの時間は嘘じゃなかった」という態度だと、僕は思っている。
続けられなかった。
途中でやめた。
それだけで、
すべてを無意味だったことにしてしまうのは簡単だ。
でも、このシーンは、
そういう切り捨て方をしない。
好きだった。
本気だった。
それだけで、
その時間は成立していた。
僕自身、
もう一度やり直すつもりはないことが多い。
でも、なかったことにしたくない記憶は、
いくつもある。
三井寿のこの一言は、
その気持ちを、過不足なく肯定してくる。
だから今読むと、
この場面は、泣けるほどちょうどいい。
第3章:山王戦で泣くのは、勝ったからじゃない

僕は長い間、山王戦を「すごい試合」だと思って読んでいた。
最強の相手。
絶望的な点差。
そこからの逆転。
少年漫画として、完璧な構図だと思っていた。
でも、ある時から違和感が残るようになった。
読み返すたびに、
盛り上がるはずの場面で、気持ちが別のところに引っ張られる。
勝った瞬間より、
その前の、静かなコマだ。
試合の途中で、読む速度が落ちる
山王戦の終盤は、セリフが少ない。
説明もない。
感情の代弁もない。
あるのは、呼吸と視線と、止まりかけた身体だけ。
読んでいるこっちも、ページをめくる速度が落ちる。
「あれ、こんなに長かったか?」
そんなことを思いながら、同じコマをもう一度見る。
この時点で、もう勝敗はどうでもよくなっている。
読者の声に、うなずいてしまう
「逆転した瞬間より、全員の顔を見ているところで泣いた」
── Amazon コミックスレビューより
「勝った試合なのに、なぜか“終わった感”の方が強く残った」
── 読書メーター レビューより
これを読んだとき、正直、強くうなずいた。
そうなんだ。
山王戦って、達成感より先に、終わってしまった感じが来る。
もう出ない。
もう足が動かない。
もう声も出ない。
あのコマに並んでいるのは、勝者の顔じゃない。
「全部使い切った人間の顔」だ。
読み終えたあとに残るもの
山王戦が特別なのは、
勝ったからでも、名勝負だからでもない。
「これ以上は出ない」という地点を、
物語の中で、はっきり描いてしまったからだ。
大人になって読むと、
どうしてもそこに、自分の記憶が重なる。
結果は出なかったけど、
あれ以上は出せなかった時期。
今思えば、あの頃の自分も、
だいたい同じ顔をしていた。
山王戦を読み終えたあとに残るのは、
勝利の快感じゃない。
「あの時間は、ちゃんと限界だった」
という、静かな確認だ。
だからこの試合は、何度も読み返される。
前に進みたいときじゃなく、
立ち止まって、自分を否定したくなった夜に。
第4章:桜木花道は、完成しないまま終わるから泣ける

僕は昔、桜木花道がいちばん好きだとは言えなかった。
派手で、うるさくて、調子に乗っていて。
正直、物語を引っ張る主人公としては、少し雑に見えていた。
努力型でもないし、最初から才能があるわけでもない。
どこか中途半端なまま、試合が進んでいく。
でも、読み返すたびに、
目が離せなくなるのは、いつも桜木だった。
上手くいった瞬間じゃない。
成長を実感する場面でもない。
「まだ分かっていないまま、
コートに立っている姿」だ。
分からないまま、走っている
桜木は、最後まで「完成」しない。
ルールも、駆け引きも、
本当の意味では理解しきっていない。
それでも、走る。
それでも、跳ぶ。
自分が何者なのか、
どこまで通用するのか。
分からないまま、
目の前の一瞬だけに反応し続ける。
僕はそこに、
不器用な勇気を感じてしまう。
読者の声に、少し救われる
「桜木は最後まで天才にならないのがいい」
── 読書メーター レビューより
「完成しない主人公だから、大人になってから一番刺さった」
── Amazon コミックスレビューより
この感想を読んで、
正直、少し救われた。
ああ、そうだ。
桜木は、成功例じゃない。
途中経過のまま、
物語から降りていく存在なんだ。
未完成のまま、価値がある
物語の中では、
成長する主人公が評価されやすい。
努力が報われて、
才能が開花して、
何者かになる。
でも、桜木花道は、
そこまで行かない。
それでも、彼の時間は、
はっきりと意味を持っている。
全力だった。
本気だった。
途中で投げなかった。
それだけで、
人生の一部としては、十分すぎる。
僕自身、
「途中のまま終わったこと」を、
いくつも抱えている。
完成させられなかった。
形にできなかった。
評価も残らなかった。
それでも、
本気だった時間だけは、確かにあった。
桜木花道は、
その事実を、最後まで否定しない。
だからこの主人公は、
大人になってから、
ちゃんと泣ける。
第5章:それでも、この漫画を「泣ける」と呼びたい理由

スラムダンクは、人生をやり直させてくれる漫画じゃない。
時間は戻らない。
失ったものも、そのままだ。
それでも、大人になって読むと、
なぜか涙が出てしまう場面がある。
三井寿の一言。
山王戦の、息が続かなくなる時間。
桜木花道の、完成しないまま終わる姿。
どれも、
「成功」や「逆転」を描いた場面じゃない。
共通しているのは、
あの時間は、確かに本気だったと、
静かに認めてくれるところだ。
続かなかったこと。
途中でやめたこと。
形にならなかった努力。
大人になると、
そういうものを、自分で否定してしまいがちだ。
でもスラムダンクは、
そこを切り捨てない。
やり直せなくてもいい。
前に進めなくてもいい。
「あれで終わった」
「あれで限界だった」
そう言っていい時間が、
人生には確かにあるんだと、
物語のほうが先に教えてくれる。
だからこの漫画は、
大人になってから、ちゃんと泣ける。
悲しいからじゃない。
悔しいからでもない。
否定しなくてよかったと、
確認できるからだ。
もし今、
他にも似た感触の漫画を探しているなら、
こちらも参考にしてほしい。
▶ 泣ける漫画10選
きっとそこにも、
前に進ませる物語じゃなく、
立ち止まった時間を肯定してくれる物語がある。


コメント