『3月のライオン』って、将棋漫画なのに、読み終わったあとに残るのは勝敗よりも「ひとりでいる時間」の感触でした。
僕は最初、将棋の細かい戦法を全部わかって読んでいたわけではありません。正直、盤面の意味を雰囲気で流していたところもあります。序盤は読むのが少し遅かったです。将棋用語で普通に止まりました。
それでも、桐山零がひとりで部屋にいる場面と、川本家の食卓に呼ばれる場面だけは、妙に忘れられませんでした。
零が急に救われる話ではないんですよね。冷えた部屋にいた零が、あかりさんのご飯や、ひなたの言葉や、モモの無邪気さに触れて、少しずつ人のいる場所へ戻っていく。その遅さが、後から来ます。
この記事では、『3月のライオン』がなぜ泣けるのかを、零の孤独、川本家の食卓、ひなたの場面を中心に、僕が読んで引っかかったところから考えていきます。
『3月のライオン』が苦しいのは、零の孤独が生活レベルで描かれるから

零の部屋って、“生活している場所”というより、帰って寝るための場所に近い感じがします。
プロ棋士としての零は、たしかにすごいです。中学生でプロになって、将棋の世界で戦っている。そこだけ見ると、才能のある少年の話として読めます。
でも僕が最初に引っかかったのは、才能よりも部屋の静けさでした。食事をしていても、休んでいても、どこか身体だけがそこに置かれている感じがある。
時間が経ってから思い出すのも、対局の細かい流れより、あの部屋の空気でした。誰かの声がない部屋。食べることが、ただ身体を動かすための作業みたいになっている感じ。
零の孤独がきついのは、「かわいそうな過去があるから」だけではないと思います。過去の痛みが、今の部屋や食事や沈黙にまで残っている。僕はそこに、読んでいて少し息が詰まりました。
川本家の食卓が零に刺さったのは、“帰っていい空気”だったから

川本家の食卓って、すごい事件が起きる場面ではありません。
ご飯が出て、あかりさんがいて、ひなたがいて、モモがいて、犬や猫がにぎやかで。文字にすると普通です。普通すぎる。でも零の部屋を見たあとだと、その普通がやけに残るんですよね。
僕はここ、将棋の勝敗より覚えています。料理名を全部覚えているわけではないのに、湯気とか、にぎやかさとか、零がそこに座っている時のぎこちなさだけは残っている。
たぶん、川本家は零を「救ってやる」みたいな顔をしていないから好きなんだと思います。説教もしないし、無理に踏み込まない。ただ、ご飯を出す。声をかける。そこにいていい空気を、当たり前みたいに置いてくれる。
こういう優しさって、受け取る側が慣れていないと、少し怖いんですよね。僕はそこ、零を見ていてけっこう気になりました。
でも、そのぎこちなさごと食卓に置かれている。零がうまく笑えなくても、完璧に馴染めなくても、食卓は続いていく。
一回の感動で救うんじゃなくて、何度もご飯が出て、何度も名前を呼ばれて、少しずつ冷えたところに湯気が入ってくる。ここは本当に、うまく説明しきれないです。でも、あの湯気だけは残っています。
ひなたのいじめ編で、零は初めて“誰かの痛み”に立った

ひなたのいじめ編は、泣いたというより、読んでいて苦しくなりました。
ひなたが傷ついている場面そのものもつらいんですが、僕が強く覚えているのは、そこに対する零の反応です。零は、それまでずっと自分の孤独と戦ってきた人でした。将棋にしがみついて、自分の居場所を失わないようにしていた。
その零が、ひなたの痛みに触れた時、初めて自分の外側へ手を伸ばそうとする感じがありました。
うまく助けられるわけではない。すぐに何かを解決できるわけでもない。むしろ「何ができるんだろう」という無力さの方が先に来る。それでも、ひなたが傷ついていることを、自分とは関係ないものにしない。
ここは再読の方が重かったです。学生の頃に読んだ時は、ひなたの強さに目が行っていました。でも時間が経ってから読むと、零の立ち位置が気になるようになりました。救われる側だった零が、誰かを支えたいと思い始める。その変化が、すごく不器用で、だからこそ残る。
零がひなたのために怒る場面には、きれいなヒーロー感とは少し違うものがあります。自分も傷ついてきたからこそ、目の前の痛みを放っておけない。僕はそこに、零の変化を感じました。
『3月のライオン』の心理描写は、「勝つ」より「いていい」を描いている

零はプロ棋士なので、将棋で勝つことはもちろん大事です。
でも読んでいると、零にとって将棋は単なる勝負以上のものに感じます。勝てば評価される。勝てばそこにいられる。負ければ、自分の価値まで削られていくように感じてしまう。
これはかなり苦しいです。
僕には、零が「勝ちたい」というより、「いなくならなくて済む理由」を探しているように感じました。将棋があるから、ここにいられる。強ければ、必要とされる。そう思わないと立っていられない時期が、零にはあったんじゃないかと思います。
だからこそ、川本家の食卓が効いてくる。
あそこでは、零が勝ったからご飯が出るわけではありません。強いから呼ばれるわけでもない。うまく話せなくても、疲れていても、そこに座る場所がある。
将棋の世界では、零は結果を出さなければならない。でも川本家では、まず人としてそこに置かれる。僕はこの落差に、『3月のライオン』の泣ける理由があると思っています。
まとめ|『3月のライオン』は、零が人のいる場所へ戻っていくから泣ける
『3月のライオン』が泣けるのは、零が勝利によって一気に救われるからではありません。
ひとりの部屋にいた零が、川本家の食卓に座る。ひなたの痛みに触れる。誰かの声やご飯や怒りを、少しずつ自分の中に残していく。
その歩幅が小さいから、余計に効くんだと思います。
零に泣ける時って、たぶん「かわいそうだから」だけじゃないんですよね。自分の中にある、うまく人の輪に入れなかった時間とか、優しくされてもすぐ安心できなかった記憶とか。そういうものまで、少し触られる。
僕は今でも、対局の細かい流れより、川本家の食卓を先に思い出します。うまく説明しきれないけど、あの湯気だけは残っているんです。
FAQ
将棋を知らなくても、置いていかれない?
読めます。というか、僕は最初かなり雰囲気で読んでいました。
将棋の戦法や盤面を全部理解していたわけではないです。途中で「これは何をしてるんだろう」と思ったところも普通にあります。
それでも読めたのは、零の部屋の寒さとか、川本家の食卓のにぎやかさとか、そういう部分が先に入ってきたからです。将棋がわからないと無理、という漫画ではないと思います。
どこで泣けるのか、正直人によると思う
僕の場合は、零が一気に救われないところでした。
川本家と出会っても、零の孤独はすぐ消えません。ひとりに戻る時間もあるし、将棋で削られる時間もある。
でも、ご飯を食べる。名前を呼ばれる。ひなたの怒りに触れる。そういう小さい場面が、あとから効いてきます。
泣かせに来るというより、読み終わってから「あれ、今のしんどかったな」と遅れて来る感じです。
心理描写がすごいって、何がそんなに残るのか
説明しすぎないところだと思います。
零が何を感じているかを、全部セリフで言わせるわけじゃない。部屋、食事、沈黙、将棋会館の空気。そういうもので、零の状態が伝わってくる。
僕は特に、零が川本家にいる時の少し硬い感じが好きです。安心していい場所にいるのに、まだ身体が慣れていない感じ。あれが妙に残りました。
漫画から読むか、アニメから見るか
僕は漫画から読むのが好きです。
羽海野チカ先生の線や余白に、零の沈黙が残る感じがあるからです。ページをめくる間に、零の黙っている時間がこっちにも少し移ってくる。
ただ、アニメも入りやすいです。映像と音で川本家の空気を掴めるので、最初の入口としては全然ありです。
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参考情報
本記事は、漫画『3月のライオン』を読んだ僕自身の感想と考察を中心に書いています。作品情報については、以下の公式・関連情報を参照しました。
『3月のライオン』は、羽海野チカ先生が白泉社『ヤングアニマル』で連載している将棋漫画です。将棋監修は先崎学さん。受賞歴などの公式情報は、上記の公式サイト・関連ページを参照しています。



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