『かくかくしかじか』は実話?「嘘?」と検索される理由と東村アキコの後悔を考察

漫画考察

『かくかくしかじか』が実話だと知って、この作品の痛さに少し合点がいきました。

アキコがやるべきことから逃げるたび、僕自身が「あとでやる」と済ませてきた過去を思い出してしまうからです。

実話かどうかで言えば、『かくかくしかじか』は東村アキコさんの半生をもとにした自伝的な作品です。ココハナ公式、映画公式サイト、文化庁メディア芸術祭の作品概要でも、東村アキコさん自身の体験や恩師との日々をもとにした作品として紹介されています。

ただ、僕には「実話だから痛い」だけでは済ませられませんでした。先生に向き合えなかった時間。描くべき時に描けなかった日。あとで取り返せると思ってしまった甘さ。アキコのだらしなさを読みながら、どこかで自分のだらしなさを読まされている感じがしたんです。

まずは公式情報で確認できる範囲から実話性を見て、そのうえで「嘘?」と検索される理由と、なぜこの後悔が読者に残るのかを考えていきます。

『かくかくしかじか』は実話なのか

『かくかくしかじか』が実話なのかをテーマに、絵画教室で先生と生徒が向き合う漫画風の画像

『かくかくしかじか』は、東村アキコさんの半生と恩師・日高先生との日々をもとにした自伝的作品です。

ココハナ公式の作品紹介では、「これまで決して描かれなかった、東村アキコの半生」を描くコミックエッセイとして紹介されています。作中の林明子は少女漫画家を夢見る高校生で、日高健三は明子たちが通う絵画教室の先生として紹介されています。

映画公式サイトでも、作品は「9年間にわたる恩師との涙あふれる切ない実話」と説明されています。さらに、東村アキコさん自身のコメントとして『かくかくしかじか』を「自伝的作品」と語っている部分もあります。

文化庁メディア芸術祭の作品概要でも、『かくかくしかじか』は「少女マンガ家を夢見ていた頃から、夢を叶えてマンガ家になるまでとその後の半生を題材にした自伝的作品」と説明されています。

なので、「実話なのか?」と聞かれたら、東村アキコさんの体験をもとにした自伝的作品だと答えていいと思います。ただ、一言一句まで事実かどうかを確認するというより、体験を漫画として描いた作品として読むのが自然です。

漫画である以上、すべての会話や場面が記録映像のようにそのまま再現されている、という意味ではありません。場面の切り取り方、順番、見せ方には、作品として読ませるための構成が入っています。

『かくかくしかじか』が「嘘?」と検索される理由

竹刀を持つ厳しい絵画教室の先生と驚く生徒を描いた、『かくかくしかじか』が嘘と検索される理由を表す画像

『かくかくしかじか』を読んでいると、「これ本当に実話なの?」と確かめたくなる場面があります。

日高先生の存在が、あまりにも強いからです。

竹刀を持ち、初対面の明子のデッサンを見て「下手くそ」と言い切る。美術教室の先生というより、嵐みたいな人です。静かな教室に入ったつもりが、いきなり強風で紙ごと吹き飛ばされるような出会い方をします。

普通の自伝漫画なら、恩師はもう少し美しく描かれそうです。優しく導いてくれる先生。主人公の才能を見抜いてくれる先生。読者が安心して尊敬できる先生。

でも日高先生は、そういう分かりやすい恩師ではありません。

怖い。乱暴に見える。言葉もきつい。けれど、明子に向かって「描け」と言い続ける。

ここまでくると、読みながら思ってしまいます。

「こんな先生、本当にいたの?」

たぶん「嘘?」と検索される理由の一つはここです。作品を否定したいというより、実話として読むには濃すぎる。日高先生のキャラクターも、アキコの逃げ方も、漫画の展開としてできすぎているように感じる。

でも、東村アキコさんはインタビューで、『かくかくしかじか』についてエピソードを大げさに盛っていないと語っています。また、嘘を描くと紙の中の先生に怒られるような感覚があった、とも話しています。

この発言を読むと、日高先生の強烈さを少し違う角度で受け取れます。

日高先生が強烈だから嘘っぽく見える。けれど、東村さんにとっては、強烈に描かないと日高先生ではなくなってしまう。僕はそこに、この作品の実話としての手触りを感じました。

日高先生との関係が実話として重く残る理由

絵画教室で先生に描けと迫られながら涙をこらえてデッサンする生徒を描いた、日高先生との関係を表す画像

日高先生は、明子に「うまいね」と言ってくれる先生ではありません。

紙の前で止まる明子に、先生はとにかく描けと言う。才能があるかどうかを考える前に、手を動かせと言う。明子が欲しかった甘い承認とは、かなり違う言葉です。

でも、その言葉は明子の中に残ります。

残るのに、明子は毎回ちゃんと応えられるわけではありません。描かない日がある。先生のところへ行かない日がある。行こうと思えば行けたはずなのに、別の予定や言い訳の方へ流れてしまう時間がある。

ここは、読んでいてかなり苦いです。

日高先生が厳しかったから苦いのではありません。厳しい先生にしごかれて、主人公が努力して、最後に夢を叶えるだけなら、まだ安心して読めます。

でも明子は、先生の言葉を受け取りながら、その人にまっすぐ返せないまま時間を進めてしまう。

東村アキコさんはインタビューで、日高先生のことを思い出さないようにしていた時期があったこと、不義理をしたまま離れてしまった後悔があったことを語っています。

この話を知ると、作中の「描け」という言葉の残り方が変わります。

先生の言葉は、明子を漫画家へ向かわせた力でもある。けれど同時に、応えきれなかった相手の声としても残っている。

だから日高先生との関係は、ただの美しい師弟関係として読めません。

もらったものがある。返せなかった時間もある。その両方が同じページの中にあるから、読後にずっと残るんです。

なぜアキコのだらしなさが自分にも刺さるのか

あとでやるという言い訳と向き合いながら机で絵を描く少女を描いた、アキコのだらしなさを表す画像

読んでいると、アキコに腹が立つ場面があります。

先生があれだけ「描け」と言っているのに、描かない。行けばいいのに、行かない。連絡すればいいのに、しない。

「いや、今やれよ」と思います。

でも、アキコの痛さは、ただ怠けているところだけではありません。

やっていないのに、どこかで「自分はまだ本気を出していないだけ」と思っている。

今は描いていないだけ。本気になれば描ける。ちゃんとやれば間に合う。やる気になれば、先生にも認めてもらえる。

そういう思い上がりが、アキコの中にある。

ここがかなり苦いです。

何もできない人として自分を見たくない。努力していないから結果が出ていないだけで、本気を出せば違うはずだと思いたい。

その逃げ方は、かなり身に覚えがあります。

後回しにしたまま忘れたふりをしたこと。連絡しなきゃいけないのに、画面を見ないふりをしたこと。まだ間に合うと思っていたら、本当に間に合わなくなったこと。

アキコのだらしなさを読んでいるはずなのに、途中から、自分のだらしなさまでページの上に出てくる。

アキコは、ものすごく悪い人として描かれているわけではありません。先生を傷つけようとしているわけでもない。最初から全部を投げ出そうとしているわけでもない。

ただ、だらしない。

そして、少し思い上がっている。

やらなきゃいけないことがあるのに、今日じゃなくてもいいと思ってしまう。会いに行ける距離にいるのに、今じゃなくてもいいと思ってしまう。先生の言葉が残っているのに、ちゃんと向き合うのを後ろへずらしてしまう。

大きな裏切りをするわけじゃない。決定的な悪意があるわけでもない。けれど、小さく逃げる。少しだけ目をそらす。あとで取り返せるような顔をする。

そして、あとになってから分かる。

あれは「あとで」で済む話じゃなかったんだ、と。

『かくかくしかじか』のアキコが痛いのは、そこだと思います。

だらしないだけなら、まだ笑えるかもしれません。でも「自分はまだ本気を出していないだけ」と思っていた時間まで描かれると、笑えなくなります。

アキコを責めたい。けれど、責めきれない。

その半端な苦さが、この作品にはずっと残ります。

『かくかくしかじか』は実話だからこそ、後悔から逃がしてくれない

夕暮れの絵画教室で若い生徒と厳しい先生が並び、実話だからこそ残る後悔を表した漫画風の画像

『かくかくしかじか』が重いのは、東村アキコさんが漫画家として成功したあとで、やらなかった日をなかったことにしていないからです。

成功した人の昔話として読むなら、もっと気持ちよく読めたかもしれません。

あの時は未熟だった。先生のおかげで成長できた。今の自分があります。そういう形で終わっていたら、読者も安心できたと思います。

でも、この作品はその安心をくれません。

先生に向き合えなかった時間がある。描くべき時に描けなかった日がある。会いに行けたかもしれないのに、行かなかった日がある。

そしてたぶん、その時のアキコには「まだ本気を出していないだけ」という逃げ道もあったはずです。

今は描いていないだけ。やる気になればできる。いつかちゃんと会いに行けばいい。そう思っているあいだにも、先生の時間は進んでいく。

ここが怖いです。

描かなかった日は、描かなかった日のまま残る。会いに行かなかった日は、会いに行かなかった日のまま残る。

あとから本気を出しても、あの時の先生に返せなかったものまでは戻ってこない。

その後悔を、成功談で塗りつぶさない。

だから『かくかくしかじか』は、実話だと知るほど逃げ場がなくなります。これは教訓として作られた話ではなく、誰かが実際に抱えてきた後悔の形だからです。

アキコに腹が立った人ほど、この作品から逃げにくいと思います。

そこで責めているのは、アキコだけではないからです。

「あとでやる」と言って、そのままにしたこと。会いたい人に会わないまま時間が過ぎたこと。まだ間に合うと思って、動かなかったこと。

そういう過去を少しでも持っている人には、『かくかくしかじか』はかなり痛い作品です。

実話かどうかを知りたくて読み始めたのに、最後には自分の後悔まで見せられる。

僕は読み終わったあと、日高先生の厳しさよりも、アキコが後回しにしてしまった時間の方が残りました。

FAQ

『かくかくしかじか』は実話ですか?

公式情報では、東村アキコさんの半生や恩師との日々をもとにした自伝的作品として紹介されています。映画公式サイトでも、恩師との実話として説明されています。

『かくかくしかじか』はどこまで本当ですか?

大枠は東村アキコさんの体験をもとにした作品として読めます。ただし漫画作品なので、会話の運びや場面の切り取り方には、作品としての構成が入っていると考えるのが自然です。

『かくかくしかじか』が嘘と検索されるのはなぜですか?

嘘と断定されているというより、日高先生のキャラクターや明子との関係があまりに強烈で、「本当にあった話なの?」と確認したくなる読者が多いからだと思います。

日高先生は実在の人物ですか?

公式情報では、東村アキコさんの恩師との日々をもとにした作品として紹介されています。作中では、明子たちが通う絵画教室の先生・日高健三として描かれています。

未読でもこの記事は読めますか?

読めます。ただし、この記事では『かくかくしかじか』の重要な関係性や後悔の部分に触れています。ネタバレを避けたい場合は、原作や映画を先に楽しんでから読む方が安心です。

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参考情報

この記事を書いた人:漫画や映画の感想を中心に、作品の中で自分に引っかかった場面を個人の体感と重ねて書いています。この記事では、原作漫画を読んだうえで、ココハナ公式・映画公式サイト・文化庁メディア芸術祭・東村アキコさんのインタビュー情報を確認し、『かくかくしかじか』を実話としてどう読めるのか、そして読後に残る後悔の痛さを考察しました。

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