正直に言うと、初めて読んだときの僕は、鷲匠監督がかなり苦手でした。
日向に対して厳しい。言い方も冷たい。白鳥沢の監督として「高さこそが正義」を掲げる姿も、当時の僕には怖く見えました。
特に、1年生選抜合宿で日向を練習に入れなかった場面。あそこは初読の僕からすると、「いや、そこまで突き放す?」という気持ちが先に来ました。
でも、最後まで読んでから戻ると、同じ場面の温度が変わります。
春高でテレビの前に座り、日向のプレーを見ながら拳を握る。ブラジルへ向かおうとする日向に手を貸す。そして「俺以上に 日向翔陽に期待する人間が 居てたまるか」と声を荒げる。
あれだけ「高さ」を信じていた鷲匠監督が、なぜ小さい日向から目を逸らせなくなったのか。
だから今回は、鷲匠監督を「怖い監督」で終わらせずに読み直してみます。
鷲匠監督がテレビの前で握った拳で、僕の読み方が変わった

単行本41巻364話、春高の鴎台戦をテレビで見ている鷲匠監督の拳。読み返すたびに、ここで一度手が止まります。
そこにいる日向は、もう夏合宿でボール拾いをしていた日向ではありません。全国の舞台で、自分の小ささを抱えたまま戦っている選手です。
鷲匠監督は、声を上げない。褒めもしないし、驚いた顔を大きく見せるわけでもない。日向を認めたと、分かりやすく言葉にもしない。
ただ、拳を握る。
初読のとき、このコマはさらっと流していた気がします。けれど今は、ここが強く残ります。あの人が何も言わないまま、手だけを固くしている。大声で認めるより、ずっと鷲匠監督らしくて怖い。
鷲匠監督は「高さ」の価値を信じてきた人です。白鳥沢の選手たちにも、自分の指導にも、自信があったはずです。だから、小さい日向が技術と判断で食らいついている姿は、簡単に飲み込めるものではありません。
それでも、視線は画面から離れなかった。
テレビの前に座ったまま、日向を追っている。口では何も言わないのに、膝の上の手だけが固くなる。
この拳を見たとき、「もうこの人、日向をただの小さい選手としては見られなくなっているな」と感じました。
認めた、という言葉だけでは軽いです。喜んでいるわけでも、素直に称賛しているわけでもない。悔しさが混ざっているのに、目が離せない反応。自分が選べなかった道へ、日向が進んでいる。その光景に、鷲匠監督の身体が先に反応している。
ここで僕の中の鷲匠監督像が崩れました。
ただの「高さ信者」としては読めなくなったんです。口では何も言っていないのに、手だけが日向に持っていかれている。
そこが、たまらなく人間くさい。
あの夏、練習には入れなかった日向のプレーに、鷲匠監督がテレビの前で拳を握っている。この距離の変化だけで、しばらくページを進められなくなります。
あの夏、鷲匠監督はなぜ日向を追い返さなかったのか

拳の場面を見たあとで、単行本18巻159話の1年生選抜合宿に戻ると、あの夏の場面まで違って見えてきます。
日向は呼ばれていないのに体育館へやって来ました。
今読むと、鷲匠監督が止めるのは当然です。日向は選抜された選手ではないし、合宿には合宿のルールがある。監督がそこを崩したら、正式に呼ばれた選手たちにも示しがつきません。
ただ、初読の僕はそこまで冷静じゃありませんでした。
日向は強くなりたくて来ている。誰よりも必死に食らいつこうとしている。なのに、鷲匠監督は日向をコートに入れない。
「少しくらい練習させてやってもいいじゃないか」
最初は完全にそう思っていました。あの頃の僕は、日向の悔しさに乗りすぎていたんだと思います。
でも、読み返すと別のところで手が止まります。
鷲匠監督は、日向を練習には入れませんでした。けれど、体育館から追い出してはいません。
本当に邪魔だと思うなら、「帰れ」で終わらせればいい。呼ばれていない選手を合宿に置いておく理由なんて、本来はありません。それでも鷲匠監督は、日向にボール拾いをさせました。
これを優しさだけで語ると、たぶん違います。日向にとっては屈辱だったはずです。コートに入りたいのに、入れない。目の前では同世代の選手たちが練習していて、自分は外側でボールを拾うしかない。
それでも日向は、そこで腐らなかった。
ボールを拾いながら、選手を見る。空気を見る。自分がコートに入れない時間を、ただの待ち時間にしない。
この場面を読み返したとき、鷲匠監督の印象が変わりました。
鷲匠監督は、日向を甘やかさない。熱意があるからといって特別扱いもしない。そこは厳しいです。
でも、学ぶ場所までは奪っていない。
この人、怖いんだけど、雑ではないんですよ。
夏合宿の時点で、鷲匠監督が日向の可能性を見抜いていたとは考えにくいです。呼ばれていない選手。小さい選手。白鳥沢の価値観から見れば、すぐに評価できる材料は少ない。
それでも、完全には切らなかった。
だからこの場面は、「嫌な監督だな」だけで片づけられません。腹は立つ。でも、雑に追い払ってはいない。そこが、あとから効いてくるんです。
「俺以上に 日向翔陽に期待する人間が 居てたまるか」が笑えない理由

単行本42巻369話で、鷲匠監督はブラジルへ向かおうとする日向に手を貸します。
初読の僕はここで笑ってしまいました。あんなに突っぱねていた人が、結局いちばん期待してるじゃないか、と。
でも、笑ったあとで黙ります。
ここで鷲匠監督が丸くなった、と読むのはたぶん違います。白鳥沢でやってきたことも、牛島たちに求めてきた強さも、彼の中では最後まで大事なものだったはずです。そこを簡単にひっくり返す人なら、あの拳も、あの叫びも、ここまで重くなりません。
だから、日向に手を貸したことが効いてきます。
日向は、白鳥沢とは違う道を進もうとしていました。小さい身体で、技術を磨き、判断を磨き、砂の上でもう一度自分を作り直そうとしている。高さを否定するのではなく、高さの前で足りないものを一つずつ増やしていく道です。
鷲匠監督は、その進み方を無視できなかった。
影山がいて、烏野の仲間がいて、合宿で拾った視点があって、春高で折れかけた経験があって、その先にブラジルがある。日向は自分だけの力で跳んでいるようで、ずっと誰かの力を借りながら高くなっていく選手でした。
だから「俺以上に 日向翔陽に期待する人間が 居てたまるか」が、ただのツンデレみたいに聞こえないんです。
あれは笑えるセリフでもあります。あんなに厳しかった人が、奥さんの前でそこまで言うのか、と。でも、笑ったあとに静かになる重さがある。
夏合宿で線を引いた人が、春高で拳を握り、最後には自分の持っているものを差し出した。その時間があるから、あの言葉は軽くならない。
誰よりも最初に厳しい現実を突きつけた人が、誰よりも日向の進み方を追っていた。
このセリフには、鷲匠監督のこじれた熱さが出ています。素直じゃない。でも、軽くもない。だから笑ったあとで、ちょっと黙ってしまうんです。
日向は、鷲匠監督が捨てきれなかったものを連れてきた

日向は、鷲匠監督の考えを言葉で否定したわけではありません。
「高さだけがすべてじゃない」と正面から言い返したのでもない。日向がやったのは、もっと単純で、もっとしつこいことでした。
ボールを拾い、コートの外から目を凝らし、足りないものを知り、それでも次の場所へ進んでいく。
ここが、今読むといいんです。
日向は「小さくても勝てる」と綺麗に証明しているわけではありません。むしろ、何度も自分の足りなさを突きつけられています。
高さがないことを気合だけでごまかさない。届かない現実を見て、仲間の力を借りて、できることを増やしていく。
鷲匠監督は、そこをちゃんと見ていたんだと思います。
大きい選手がシンプルに強いバレーを磨く。その価値を、鷲匠監督は誰より知っている人です。
自分の教え子たちにその強さを求めてきたし、白鳥沢はそれで勝ってきた。
だから、日向が鷲匠監督を一気に変えた、とは言いづらいです。
変化は、もっとゆっくり起きていたように見えます。
自分では閉じたつもりだった扉の向こうへ、日向が勝手に走っていく。鷲匠監督にとって、あのプレーは見ないふりができないものだったんだと思います。
自分が信じてきたものを持ったまま、別の道を進む相手をちゃんと見るのは、けっこう難しいです。
僕ならたぶん、もっと拗ねます。
「いや、それは例外だろ」とか、「自分のやり方とは違う」とか、何かしら理由をつけて距離を置きたくなる気がします。
でも鷲匠監督は、日向の進む先を追ってしまった。
自分のバレーに引き込むのではなく、日向が日向の道で強くなっていくのを追った。そして最後には、その道へ進むための手を貸した。
不器用だけど、逃げてはいない。だから今読むと、鷲匠監督のことを好きになってしまうんです。
【僕の結論】鷲匠監督は日向に、昔の自分の続きを見た

アルゼンチン対日本の試合を、鷲匠監督は家のソファで奥さんと並んで見ていました。
かつて日向を練習に入れなかった監督が、今はテレビ越しに、世界のコートへ立つ日向を見ている。
この場面、派手なセリフがあるわけじゃないんですよね。
でも僕は、ここが好きです。体育館で怒鳴っている鷲匠監督でも、白鳥沢のベンチにいる鷲匠監督でもない。家のソファで、奥さんの隣に座って、ただ試合を見ている。
白鳥沢で積み上げてきたバレーも、牛島たちに求めた強さも、鷲匠監督の中では最後まで大事なものだったはずです。
そこをなかったことにはしない人だから、僕はこの人を信用できます。
そのうえで、日向に心を持っていかれた。
自分とは違うやり方で、自分が届かなかった場所へ行こうとする選手。
小さいまま、足りないものを増やしながら、仲間の力も借りながら、世界のコートまで来た選手。
だから今は、鷲匠監督をただ「怖い監督」としては読めなくなりました。
僕には、鷲匠監督が日向に「昔の自分が見たかった景色」を重ねていたように見えます。
「俺以上に 日向翔陽に期待する人間が 居てたまるか」という言葉も、初読のときよりずっと重く聞こえます。
若い頃に届かなかった場所を、別の若い選手が自分とは違うやり方で見に行く。そういう話に、僕は弱いです。
しかも鷲匠監督は、そこで急に丸くなるわけじゃない。頑固なまま、厳しい顔のまま、でも行動だけは日向の方へ傾いている。
正直、こんな歳の取り方はうらやましいです。意地を張ったままでも、誰かの未来に熱くなれる。そういうところが、読んでいてずるいなと思います。
FAQ
鷲匠監督はなぜ日向をボール拾いにしたのですか?
日向は正式に呼ばれた選手ではなかったので、練習に入れなかったのは当然です。ただ、「帰れ」で終わらせなかった。そこに、鷲匠監督の厳しさと、ただ冷たいだけでは片づかない部分が出ていると思います。
鷲匠監督の握り拳にはどんな意味がありますか?
悔しさはあったはずです。でも、それだけなら目を逸らせばいい。日向のプレーに反応して拳を握ったところに、声にする前の期待が漏れていたように感じます。
「俺以上に 日向翔陽に期待する人間が 居てたまるか」はどういう意味ですか?
甘やかしではないと思います。むしろ、最初に日向へ厳しい線を引いた人だからこそ、あの言葉が重く聞こえます。悔しさも込みで、日向の未来を見たくなってしまったんでしょうね。
鷲匠監督は自分の考えを間違いだったと認めたのですか?
僕はそうは読んでいません。白鳥沢のバレーを否定したというより、日向の別ルートも無視できなくなった。そこが鷲匠監督らしいところです。
鷲匠監督は日向に何を見ていたのですか?
日向が「昔の自分が見たかった景色」を勝手に見に行く存在に見えていたのではないか、と僕は考えています。だからこそ、最後まで気になってしまったんだと思います。
この記事で扱った主な場面
- 単行本18巻159話:1年生選抜合宿で、鷲匠監督が日向を練習に入れずボール拾いにした場面
- 単行本41巻364話:春高・鴎台戦をテレビで見ていた鷲匠監督が拳を握る場面
- 単行本42巻369話:鷲匠監督がブラジルへ向かおうとする日向に手を貸し、期待を口にする場面
昔の自分が少し疼いた人へ
鷲匠監督の拳が刺さった人は、たぶん「もう終わったつもりの悔しさ」が動く漫画に弱い人だと思います。
ここからは、鷲匠監督のように「過去の悔しさを抱えた大人」が刺さる人向けの関連記事です。
- 『かくかくしかじか』
厳しい人の言葉が、その場では痛くて、後になって自分を支えていたと気づく。鷲匠監督の不器用さが刺さった人に読んでほしい作品です。 - 『東京タラレバ娘』
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