チェンソーマンはあらすじからつらい──しんどいのに「救われた気がする」理由

漫画レビュー

チェンソーマン、面白い。
なのに、読むのがきつい。

ページをめくる手は止まらないのに、
読み終わったあとに残るのは、
スカッとした勝利じゃなくて、胸の奥のザラつき。
僕には、そんな夜が何度かあった。

この記事は、
読んだ人を前向きにさせるためのものじゃない。

むしろ逆で、
前向きになれないままでも「それでいい」って感覚を、
僕自身が確かめたかった、その途中の記録に近い。

まずは、“あらすじ”から整理しよう。
ただし、普通のあらすじじゃない。

「しんどくなる視点」で、
必要なところだけを、最小限に。

※僕は原作を読めるところまで追っていて、ネタバレは避けつつ読後感の話だけします。

  1. チェンソーマンのあらすじを「つらくなる視点」で整理する
    1. ポイント1:人生のスタート地点が「すでに詰み」に近い
    2. ポイント2:「願い」が叶うほど、逆に怖くなる
    3. ポイント3:成長じゃなく、「継続」だけが残る
    4. ポイント4:「説明できないつらさ」を、そのまま残してくる
  2. 「つらい」「読むのがきつい」と感じるのは普通なのか(チェンソーマン)
    1. 「つらい」は拒否じゃなく、ただの反応
    2. 「読むのがきつい」のは、派手な場面のせいじゃない
    3. 前向きになれない時間を、急かしてこない
    4. しんどさは、読み手の問題じゃない
  3. チェンソーマンが「前向きになれない物語」である理由
    1. 「そのうち良くなる」とは、あまり言ってくれない
    2. 立ち直る前に、普通に次の日が来る
    3. 「頑張れば報われる」とも、「無駄だ」とも言わない
    4. 前向きになれない状態を、直そうとしない
  4. それでも「救われた気がする」と感じる瞬間について(チェンソーマン)
    1. 何も解決していないのに、切り捨てられなかった
    2. 「生き延びただけ」の状態を、外に出さなかった
    3. 感情を回収しない、という選び方
    4. 救いは、「変われたこと」じゃなかった
  5. 読後に何も残らなくても、それは失敗じゃない
    1. 「よく分からなかった」という感覚も、ちゃんと残っていい
    2. 前に進めなくても、立ち止まって終わっていい
    3. 何も得られなかった気持ちを、そのまま持って帰る
    4. 今日は、ここまででいい

チェンソーマンのあらすじを「つらくなる視点」で整理する

正直に言うと、僕も最初は「あらすじだけ確認したい」側だった。チェンソーマン、面白いって聞くし、実際に読んでみたら確かに面白い。

でも、読むたびにちょっと疲れる夜があって、その理由をちゃんと言葉にしたくなった。

チェンソーマンの“しんどさ”って、出来事が過激だからとか、話が暗いからだけじゃない。

僕が一番きつかったのは、出来事の積み上がり方だった。

言い方を変えると、かなり乱暴だけど、この物語は「得たと思った瞬間に、同じ手で奪ってくる」

しかもその奪い方が、派手じゃなくて生活に近い。だから、じわっと痛い。

ポイント1:人生のスタート地点が「すでに詰み」に近い

物語の導入から、デンジは「普通の生活」に手が届かない場所にいる。
夢がでかいとか、小さいとか、そういう話じゃない。
生きるための最低ラインが、最初から遠い。

ここで僕は、いきなりブレーキを踏まされた。
「あ、これ努力したらどうにかなる話じゃないな」って。

僕には、頑張れば報われる話には見えなかった。
そういう前提が最初から無い感じがして、読む側も構えきれない。

ポイント2:「願い」が叶うほど、逆に怖くなる

チェンソーマンを読んでいて不思議なのは、
願いが叶う瞬間が、あんまり祝福に見えないところだ。

僕には、どこか契約を結ばされたみたいに見えた。
叶った分だけ、「次に失うもの」が具体的になる。

だから安心できない。
「やった!」より先に、「このあと何が来る?」が頭に浮かぶ。
正直、これが一番疲れる。

ポイント3:成長じゃなく、「継続」だけが残る

少年漫画って、基本は優しい。
痛い目を見ても、経験が力になって、次は少しうまくやれる。
希望がちゃんと貯まっていく。

でもチェンソーマンは、そこが違う。
うまく言えないけど、積み上げが「貯金」じゃなく「荷物」になる瞬間が多い。

読み終わったあとに残るのは、
「成長した!」じゃなくて、
「今日も生き延びただけ」みたいな感覚だったりする。

僕はこの感じが、かなりきつかった。
でも同時に、目を逸らせなかった。

ポイント4:「説明できないつらさ」を、そのまま残してくる

一番厄介で、一番忘れられないのはここだと思う。

チェンソーマンは、
読んでいる途中で生まれた説明できないつらさを、
きれいに片付けてくれない。

スッキリしない。
答えも出ない。
…でも、嫌な感じで突き放してこない。

だから、しんどいのに目が離せない。
読み終わったあと、「ここにいていい」って空気だけが残る。
僕には、そう感じられた。

「つらい」「読むのがきつい」と感じるのは普通なのか(チェンソーマン)

ここは、僕がいちばん最初に引っかかったところだ。

チェンソーマンを読んでいて、
「これ、つらいな」
「今日は続きを読むの、ちょっときついな」
って思った瞬間。

先に言っておくと、
その感覚、変じゃないと思う。

僕の周りにも、
「面白いけど、きついよね」って言う人はいたし、
僕自身も、まさにそうだった。

むしろ逆で、
ちゃんと受け取ってしまった人ほど、しんどくなる。

僕はこの作品を読んでいて、
その側に、完全に立ってしまった。

「つらい」は拒否じゃなく、ただの反応

「つらい」と感じたとき、
自分はこの作品を拒否しているんじゃないか、って不安になる人もいると思う。

でも、読んでいて感じた限り、
それは拒否というより、反応に近い。

チェンソーマンって、
こちらに考える余裕をくれる前に、
先に感情へ触ってくる。しかも、わりと無遠慮に。

だから「しんどい」と思った瞬間、
もう十分に関わっている。

距離を取れていない自分を、責めなくていい。

「読むのがきつい」のは、派手な場面のせいじゃない

きつくなるのは、
バトルが激しいシーンとか、残酷な描写そのものじゃない。

僕が一番息が詰まるのは、
何かが終わったあとの静かな時間だった。

問題が解決したわけでもない。
気持ちが整理されたわけでもない。
それなのに、物語だけは次へ進む。

ここで心が追いつかなくなる。
「ちょっと待ってくれ」って感覚が置き去りになる。
僕には、それが「読むのがきつい」の正体に近く感じた。

前向きになれない時間を、急かしてこない

多くの物語って、
読者の気持ちが沈み始めると、どこかで持ち上げにくる。

希望の兆しとか、覚醒とか、成長とか。
「ここから上向くよ」って合図を出してくれる。

でもチェンソーマンは、
そこをあまりやらない。

前向きになれない時間を、そのまま通過させる。
励まさないし、背中も押さない。

この感じは、正直しんどい。
でも同時に、変に嘘をつかれていない気もする。

しんどさは、読み手の問題じゃない

ここまで読んで、
「自分が弱いからしんどいのかも」と思った人がいたら、
それは違うと思う。

これは、この物語の作りの問題だと思う。
こっちの気持ちが追いつく前に、平気で次に行く。

そしてその距離感は、
誰にでも刺さるようには作られていない。

刺さった人だけが、少し息苦しくなる。
それは才能でも欠陥でもなく、
僕はただの相性だと思っている。

チェンソーマンが「前向きになれない物語」である理由

ここから先は、少しトーンが落ちる。

チェンソーマンを読んでいて、「元気が出ないな」「前向きな気分になれないな」と感じたなら、それは読み方の問題じゃない。

僕は途中から、「あ、これは前向きにさせるつもりの話じゃないな」って思うようになった。

読んでいて救われない、というより、最初から背中を押す気がない

そういう距離感で作られている。

「そのうち良くなる」とは、あまり言ってくれない

多くの物語は、どんなに暗くても、
「ここを越えれば光があるよ」って合図を出してくる。

それがあるから、読者は安心して苦しめる。
今はつらくても、先にはちゃんと意味がある、って思える。

でもチェンソーマンは、
その合図をほとんど出さない。

この先どうなるのか分からない状態を、
分からないまま差し出してくる。
僕はここで、感情の置き場を見失った。

立ち直る前に、普通に次の日が来る

もうひとつ、読んでいてきついのが時間の進み方だ。

悲しい出来事があっても、
後悔が残っていても、
チェンソーマンの世界では、普通に日常が続く。

泣ききる時間も、
気持ちを整理する猶予もないまま、
次の朝が来る

これが、現実とやたら似ている。
物語を読んでいるはずなのに、
自分の生活を思い出させられる。

「頑張れば報われる」とも、「無駄だ」とも言わない

チェンソーマンは、
努力を否定する話じゃない。

頑張るな、とも言わないし、
夢を見るな、とも言わない。

ただ、
それが報われるとは約束しない

この曖昧さが、前向きになれなさを生む。
完全に絶望することもできないし、
思い切って期待することもできない。

前向きになれない状態を、直そうとしない

僕が一番変だな、と思ったのはここだ。

前向きになれない主人公を、
「未熟だから」とか「成長途中だから」とか、
分かりやすい理由で説明しない。

ただ、
そういう状態も含めて流していく

直さなくていい。
急がなくていい。
そこに立ち止まっていても、物語から落とされない。

だから読んでいる側は、
励まされない代わりに、
自分の停滞と向き合わされる。

僕はそれが、
かなりしんどくて、でも嫌いじゃなかった。

それでも「救われた気がする」と感じる瞬間について(チェンソーマン)

ここまで読んできて、
正直、気持ちはそんなに晴れていないと思う。

多分、「チェンソーマン つらい」「読むのがきつい」で検索している人は、元気になりたいんじゃなくて、その感覚が間違っていないか確かめたいんだと思う。

前向きになれたわけじゃない。

答えも出てない。
なのに、読後だけは妙に静か。

完全に突き放された感じがしない。

僕がチェンソーマンを読んでいて感じたのは、まずそこだった。この章では、その違和感だけを扱う。

救いを定義するつもりはないし、
きれいな結論にまとめる気もない。

ただ、「なぜそう感じたのか」を、
僕なりに確かめてみる。

何も解決していないのに、切り捨てられなかった

チェンソーマンの「救い」は、
何かを達成したとか、報われたとか、
そういう形をしていない。

問題は残ったままだし、
状況が良くなった感じもしない。

それでも読後に残るのは、
「ここで終わってもいいのかもしれない」という、
変な納得だった。

物語が、感情をまとめにこない。
「こう思え」「これが答えだ」と言ってこない。

その不親切さが、
僕には逆に優しく感じられた。

感情を片付けなくていい。
そのまま持って帰っていい。
そう扱われている気がした。

「生き延びただけ」の状態を、外に出さなかった

チェンソーマンの登場人物たちは、
何かを成し遂げたから価値がある、という描かれ方をあまりしない。

失敗も多いし、
後悔も残るし、
「うまくやれなかった結果」を抱えたまま進んでいる。

それでも物語は、
彼らを途中で切り捨てない。

生き延びただけの状態を、
物語の外に追い出さない。

その姿勢が、読んでいる側にも静かに伝わってくる。
「自分も、今日はそれでいいのかもしれない」って。

感情を回収しない、という選び方

多くの物語は、最後に感情を回収する。
カタルシスとか、教訓とか、成長とか。

でもチェンソーマンは、
それをほとんどやらない。

読み終わっても、
気持ちはきれいに整わない。
置き場のないまま残る。

でもそれは、
投げっぱなしというより、
あえてそうしているように見えた。

置き場のない感情を、
無理に片付けなくていい。
そのまま抱えていてもいい。

それが僕には、
「救われた気がする」という、
言葉にしづらい感覚につながっているように思えた。

救いは、「変われたこと」じゃなかった

ひとつだけ、
無理やり言葉にするなら。

チェンソーマンの救いは、
前向きになれたことでも、
立ち直れたことでもない。

その状態のまま存在していいと、
扱われたこと。

だからこの物語を読んで、
少し楽になる人がいるとしたら、
それは何かを得た人じゃない。

何も得られなかった自分を、
そこまで責めなくなった人
だと思う。

読後に何も残らなくても、それは失敗じゃない

ここまで読んできて、
正直、何か大きな答えを持ち帰れそうな感じは
あまりしないかもしれない。

気持ちが整理されたわけでもないし、
前向きな決意が生まれたわけでもない。

でも、
それは読み方として間違っていないと、僕は思っている。

「よく分からなかった」という感覚も、ちゃんと残っていい

チェンソーマンを読み終えたあと、
「結局、何が言いたかったんだろう」って思う人は多い。

僕も、しばらくはそうだった。

でも今は、
その感覚自体が、この作品とちゃんと向き合った証拠なんじゃないかと思っている。

すぐに意味にできない気持ち。
言葉にしきれない違和感。
それを、急いで整理しなくていい。

チェンソーマンは、
言い切らないまま終わる。

前に進めなくても、立ち止まって終わっていい

最後にどうしても前を向かせたがる。
「だから次はこうしよう」とか、
「明日は変われる」とか。

でもチェンソーマンは、そうじゃなかった。
何も言われなかった。
僕は、それでいいと思えた。

綺麗に終われなくて、
前も向けなくて、
それでも残ってしまった僕を、
この物語は、見捨てない。

何も得られなかった気持ちを、そのまま持って帰る

読後に残ったのが、
達成感でも希望でもなく、
「何も掴めなかった」という感覚だったとしても。

それを、失敗だと決めなくていい。

チェンソーマンは、
最初から達成感や希望を
渡そうとしていなかった。

だから、
何も掴めなかったとしても、
それは負けじゃない。

だからこの記事も、
何かを教えて終わるつもりはない。

今日は、ここまででいい

もし今、
「少しだけ息がしやすくなった」くらいの感覚があるなら、
僕はそれで十分だと思っている。

理解できなくてもいい。
前向きになれなくてもいい。

今日は、ここまででいい。
そのままページを閉じても、
何かを失うことはない。

僕自身も、
今日はこの辺で閉じることにする。

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