『とんがり帽子のアトリエ』アガットが嫌いと言われる理由|ココへの態度と成長を考察

映像考察

『とんがり帽子のアトリエ』のアガットは、「嫌い」と言われやすいほど、最初の印象でかなり損をしているキャラだと思います。

出会ったばかりのココに、魔法使いの弟子入り試験である「王の許し」を受けさせようと、危険なダダ山脈に1人で置き去りにするあの場面。あそこは僕もアガットが嫌いになりました。

魔法使いの世界のルールも、ダダ山脈の危なさも、アガットが何に苛立っているのかも。まだ何も知らないココに対して、アガットの言葉は強すぎます。

ただ、原作2巻のクスタス救助を読むと、アガットの見方が少し変わりました。

あのきつさの奥には、名門に生まれた子供が、早く家名に追いつこうとして空回りする苦しさがありました。どうやら、アガットの棘はそこから出ていたようです。

アガットが嫌いと言われるのは、ココへの態度がきつすぎたから

とんがり帽子のアトリエのアガットがココに厳しく向き合う場面のイメージ

アガットが「嫌い」「性格悪い」と言われやすい入口は、原作1巻第3話、アニメ第3話「ダダ山脈の試験」で描かれる「王の許し」の場面です。

ココは、本来なら魔法使いになれる立場ではない「知らざる者」です。けれど、キーフリーが魔法を使う瞬間を見てしまい、魔法の秘密を知ったことで、彼の弟子としてアトリエに迎え入れられます。

そのココに対して、アガットは「仲間として認めてほしければ、王の許しを受けて合格するように」と告げます。しかも、キーフリーがいない間にです。

アトリエに来たばかりのココには、まだ反論できるだけの言葉がありません。魔法使いの世界で何が許されて、何が危険なのかも分かっていない。そこへ「王の許し」を突きつけられるから、読んでいて息が詰まるんです。

「それはさすがにやりすぎじゃないか」と思いました。ココが何か悪いことをしたわけではないのに、アトリエにいる資格を試されているように見えたからです。

あの場面のアガットは、ココを新しい仲間として見るより先に、「ここにいていい人間なのか」を測ろうとしています。

だからこそ、ココ側で読んでいるときつい。アガットの言葉が、ただの試験の案内ではなく、アトリエの入口に立ちはだかる壁みたいに感じるんです。

ただ、その壁の向こう側には、アークロム家の子として早く認められたいアガット自身の焦りがあります。

アガットはアークロム家の名に追いつこうとしていた

名門アークロム家に生まれたアガットが焦りを抱える場面のイメージ

アガットは、代々「図書の塔」の司書を務める名門・アークロム家の出身です。キーフリーの弟子の中でも、真面目で優秀な子です。

真面目で、優秀で、しかも名門の子。きっと、肩の力の抜き方を知らなかったのでしょう。

プライドが高くて、努力家で、後から来た主人公にきつく当たる子。作品の中では、わりと見慣れた立ち位置です。でも、アガットの場合はそこに子供っぽい必死さが混ざっています。

アークロム家に生まれたということは、最初から周囲の目があるということです。できれば褒められる、ではなく、できて当然に近い。家の名前が先に立って、本人はその後ろを必死に追いかける。

そんなアガットの前に、ココが現れます。

ココは魔法への憧れをまっすぐ持っている子です。知らないことに驚き、失敗しながらも前へ進んでいく。その明るさは、読者から見ると主人公らしくて眩しい。

でも、アガットにはその眩しさが逆に刺さったんじゃないでしょうか。

自分はずっと積み上げてきた。家の期待もある。早く認められたい。なのに、外側から来たココが、同じアトリエに立っている。

僕には、アガットがココを見ているというより、自分が積み上げてきた場所を守ろうとしているように見えました。

ココが悪いわけではありません。けれど、ココの存在によって、アガットの中にあった「まだ認められていない」という痛みが表に出てしまった。

だから、あの子の言葉はきつくなる。

「あなたが簡単にここへ来たら、私が頑張ってきた時間は何だったの?」

アガットがそう言ったわけではありません。けれど、ココへの態度には、その声が混ざっているように感じました。

アガットがココに向けた厳しさは、ただ相手を追い出したいだけのものには見えませんでした。

ココを否定することで、自分が積み上げてきた時間まで否定されないように踏ん張っていたんだと思います。

クスタス救助で、アガットを少し好きになった

アガットとココがクスタス救助に向かう場面のイメージ

クスタス救助の場面は、原作2巻第10話「アガットの焦り」から第11話「ココとアガットの救助作戦」にかけて描かれます。アニメでは第7話「誰が為の魔法」から第8話「魔警団の疑念」にあたります。

橋の崩落現場へ同行したアガットは、実務で力を示したがっていました。自分が役に立つ魔法使いだと証明したい。でも、現場で任されるのは、村人たちを支えるための補助です。

ここが、見ていて少し苦しいんです。

大きなことをしたい。分かりやすく認められたい。自分ならできると示したい。けれど、現場が求めているのは、派手な魔法ではなく、今そこにいる人を支えるための地味な役割です。

アガットは、その小ささに耐えられていないように見えます。

その後、クスタスが土砂崩れに巻き込まれ、ココとアガットは救助に向き合うことになります。

ここで、僕はようやくアガットの強さを少し好きになれました。

序盤では、アガットの「ちゃんと見ている力」がココを追い詰める方向に使われていました。相手の甘さを見つけて、資格があるのかを突きつける。だから冷たく見えた。

でもクスタス救助では、その同じ力が人を助ける方向へ向きます。

ココは自由な発想で動く。アガットは周りをちゃんと見て、魔法を使う条件まで考える。どちらか片方だけでは届かなかった場所に、2人で手を伸ばしていく。

この場面のアガットは、もうココを試す側ではありません。

同じ場所に立って、同じ人を助けようとしている。第3話でココを突き放したアガットと、同じ子なのに見え方が違う。

すべての棘が消えたわけではありません。急に優しい子になったわけでもない。けれど、アガットの魔法の向きが少し変わった。

自分を証明するためだけではなく、目の前の誰かを助けるために動く。
僕はここで、アガットをただ苦手な子として見られなくなりました。

アガットの焦りは、誰にでもあった“早く認められたい”気持ちだった

早く認められたい焦りを抱えるアガットの心情イメージ

アガットはまだ子供です。

でも、背負っているものは軽くありません。名門の家に生まれ、周囲から期待され、自分でも結果を急いでいる。

僕がアガットを嫌いで切れなかったのは、この焦りに少し覚えがあったからです。

後から来た人が、軽やかに前へ進んでいく。自分より自由に振る舞う人が、なぜか周囲に受け入れられていく。自分はずっと我慢してきたのに、誰かはまっすぐ「やりたい」と言える。

そういう時、口では応援できても、心の奥が少しざらつくことがあります。

アガットは、心のざらつきを隠せませんでした。

だからココへの言葉が鋭くなる。態度が冷たくなる。ココ側で見ている読者の胸の奥に引っかかる。

でも、あれは悪意だけでできた棘ではないと思います。

「できない」と思われたくない。
「まだ足りない」と見られたくない。
「期待外れだ」と言われたくない。

その怖さと焦りが、ココへの態度に混ざってしまった。

だから僕は、アガットを見ていると少し居心地が悪くなります。あの焦りを、自分とは無関係なものとして笑い飛ばせないからです。

アガットは苦手なままでもいい。でも、そこで切るには惜しい

クスタス救助でアガットの強さが人を助ける方向へ変わる場面のイメージ

アガットが嫌いと言われる理由は、序盤のココへの態度にあります。

「王の許し」を受けさせようとする場面は、やっぱりきついです。ココを応援して読んでいるほど、あそこでアガットから気持ちが離れるのは自然だと思います。

でも、アガットはその印象だけで止まる子ではありません。

クスタス救助では、第3話で冷たく見えたアガットの力が、誰かを助ける方向へ向いていました。ココを試すためではなく、目の前のクスタスを助けるために動いていた。

僕はそこで、アガットをちょっと好きになりました。

もちろん、無理に好きになる必要はありません。序盤の態度が苦手なら、その感覚は残していいと思います。あの場面のアガットは、たしかにきつかった。

でも、もし「アガット嫌いかも」と思ったまま止まっているなら、クスタス救助までは見てほしいです。

あそこでアガットの棘は、誰かを遠ざけるものから、誰かを助ける強さへ少しだけ向きを変えます。そこまで見た時、この子の印象はほんの少し変わるはずです。

FAQ

アガットは本当に性格が悪いキャラですか?

序盤のココへの態度は、正直かなりきついです。特に「王の許し」を受けさせようとする場面は、苦手になる人がいてもおかしくありません。ただ、そこだけで終わらせると、アークロム家の子として背負っていたしんどさを見落とす気がします。

アガットがココに「王の許し」を受けさせたのは何話ですか?

原作では1巻第3話、アニメでは第3話「ダダ山脈の試験」です。ココがアトリエに来て間もない時期なので、初見だとアガットの態度がかなり冷たく映る場面です。

アガットの印象が変わるのはどの場面ですか?

原作2巻第10話「アガットの焦り」から第11話「ココとアガットの救助作戦」にかけてのクスタス救助です。アニメでは第7話「誰が為の魔法」から第8話「魔警団の疑念」にあたります。僕はここで、アガットのちゃんと周りを見て動けるところが、人を突き放すためではなく助けるために使われたように感じました。

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