※原作・映画のネタバレを含みます。未読の方はご注意ください。
『聲の形』を読み終えたあと、僕はしばらく硝子のことが頭から離れませんでした。
なぜあの再会は、救いに見えたのに、こんなに苦しく残るのか。
僕が一番引っかかったのは、kanngaeru 将也を少し前に進ませた再会が、硝子には「私がいたから」という罪みたいに刺さってしまったところです。
今回は、原作全7巻と映画版を見たあとも忘れられなかった、花火大会以降の将也と硝子に絞って書きます。
将也は硝子に会う前から、人の顔を見られなくなっていた

小学生の将也は、硝子にちょっかいを出します。
退屈な教室に、自分とは違う話し方をする女の子が来る。どう接していいか分からない。だから乱暴に触る。からかう。周りが笑う。すると将也は、もっとやる。
将也の中では、遊びの延長だったのかもしれません。
でも、硝子に残ったものは遊びでは済まない。
補聴器を壊される。筆談ノートを雑に扱われる。うまく伝えられないことを、教室の笑いに変えられる。硝子が笑ってやり過ごそうとするほど、読んでいる側はしんどくなる。あの笑顔は、場をなごませるためというより、「これ以上嫌われないために出している顔」に近くて、僕はそこを見るのが嫌でした。
将也のしたことは消えません。
ただ、『聲の形』が嫌らしいくらい逃がしてくれないのは、そのあとです。責任が将也に向いた瞬間、さっきまで一緒に笑っていた子たちが、将也を遠くに置く。自分たちは関係ない、という場所に逃げる。
僕はこの流れを読んで、将也に同情したというより、教室そのものが怖くなりました。
高校生になった将也は、人の顔に×印を貼って生きています。
あの×印を、僕は最初「人が怖い」という記号くらいに受け取っていました。でも読み進めるほど、もっと面倒なものに感じてきます。将也は相手の顔を見ないことで、自分も相手から見られないようにしている。話しかけられる前に閉じる。近づく前に切る。どうせうまくいかないなら、最初から人間関係を始めない。
だから、将也が硝子に会いに行く場面は、ただの謝罪に見えませんでした。
昔の同級生に会って「ごめん」と言う。それくらいの軽さではない。将也は、もう閉じるつもりの世界の最後に、硝子のところへ向かっているんです。
最後にそこへ行くのかよ、将也

僕は、将也が硝子に会いに行く流れで、まずそこに引っかかりました。
将也は、明るい再出発のために硝子へ会いに行ったわけじゃない。身辺整理をして、母親にお金を残して、学校でも周囲との関係を閉じたまま、自分の生活に終止符を打つ手前まで来ている。
その最後に向かう先が、自分を笑った連中でも、自分を追い込んだ教室でもなく、硝子なんです。
しかも、手話を覚えている。
小学生の頃の将也は、硝子が何を伝えようとしているのかを聞こうとしなかった。筆談ノートも、補聴器も、硝子が周りとつながるために必要だったものを雑に扱った。
その将也が、高校で再会するときには手話で硝子に話しかける。
これを「成長」とだけ言うと、僕には少し軽すぎます。将也は、許されるつもりで硝子の前に立った感じがしない。許されたい気持ちはあったかもしれない。でもそれ以上に、終わる前に、発端になった相手へ直接お詫びを伝えようとしていた。
返すものを返す。言わなきゃいけないことを言う。自分が壊した相手の前に、一度だけでも立つ。
そんな場所からの再会だったはずです。
でも、そこで終わらなかった。
硝子と再会してから、将也の予定に自分以外の人間が入り込んできます。結絃と関わる。永束と関わる。昔の同級生たちとも、嫌でも向き合うことになる。全部うまくいくわけじゃないし、むしろ何度もぐちゃぐちゃになる。それでも将也は、もう人の顔を完全に閉じたままではいられない。
×印が剥がれる場面を読むたびに、僕は安心しきれませんでした。
よかったな、将也。
そう思いたい。実際、そう思う瞬間もある。
でも同時に、硝子がこの変化をどう受け取るのかが怖かった。将也にとって硝子との再会は、人を視界に入れられるようになるきっかけになっている。けれど硝子は、自分がそのきっかけになっていることを、たぶん素直に喜べない子です。
硝子は「私がいたから」と抱え込んでしまった

花火大会のあたりから、僕は硝子を見るのが怖くなっていました。
将也の×印が剥がれていく。人と話せるようになる。閉じていた顔が、ようやく外へ向く。普通なら喜んでいいはずの変化です。
でも硝子は、そこを「よかった」とだけ受け取れない。
将也が何年も人の顔を見られずに生きてきたことを知る。自分との過去が、将也の中で終わっていなかったことを知る。周囲の関係が崩れて、将也がまた傷ついていくところも見てしまう。
硝子は、たぶん将也を助けたなんて思えない。
むしろ逆です。
私がいたから、将也くんはこんなふうになった。
そこへ落ちていく。
僕はここで、硝子にかなり腹が立ちました。いや、硝子が悪いという意味じゃないです。そうじゃなくて、「なんでそっちへ行くんだよ」と言いたくなる。
将也は硝子のせいだけで壊れたわけじゃない。あの教室も、大人も、周りの沈黙も、将也自身の弱さも、全部絡んでいた。それに何より、硝子と再会したから将也は他人を見られるようになってきた。
でも硝子は、そうは考えません。
花火大会の夜、硝子は一人で部屋へ戻ります。将也がカメラを取りに戻った時に、ベランダから飛び降りようとしている硝子を見つける。将也は走って、落ちようとする硝子の腕を掴む。
自分だって壊れかけている。やっと少し人の方へ顔を上げられるようになったばかり。硝子と再会して、結絃や永束が将也の生活の中に入ってきた。なのに、その硝子が目の前で消えようとしている。
あの瞬間の将也は、何も考えていません。
償いとか、自己犠牲とか、命をかけた愛とか、そういう言葉で包む前に、将也は硝子の腕を掴んでいる。自分が落ちるかもしれない場所で、離さずに引き戻そうとしている。
硝子が消えたら、将也はまた一人に戻る。結絃と話した時間も、永束が横にいた時間も、人の顔を見ようとした時間も、全部まとめてなくなってしまう。
だから将也は掴んだ。
そして、硝子を引き戻した。でも、将也が落ちる。
ここで僕が泣けるのは、将也が立派な人間になったからではありません。小学生時代のことが帳消しになるからでもない。
硝子が「私なんかいない方がいい」と思い詰めたその考えを、将也はまっ先に否定した。
違う。君はいない方がいい人なんかじゃない。
その言葉を言う前に、将也の手が伸びていた。
相手を大事に思うほど、自分を悪者にしてしまうことがある

誰かが苦しんでいるとき、「何をすればいいか」なんてすぐに出てきません。
まして、その苦しみに自分が関わっているかもしれないと思ったら、相手を見る前に自分を責めてしまう。
硝子は、将也を苦しめたいわけじゃない。だからこそ、自分を消す方向へ行ってしまう。自分がいるから迷惑をかける。自分がいるから関係が壊れる。自分がいなくなれば、みんなが楽になる。
そんなふうに考えてしまう硝子を、僕は「優しい」とは思えません。
優しいという言葉だけだと、硝子が自分を削っている感じが薄まる。あれはもっと痛い。人に迷惑をかけたくない気持ちが強すぎて、自分の存在そのものを悪者にしてしまっている。
だから飛び降りの場面では、ただ「助かって」欲しいと祈るだけでは足りない。
違う、硝子。そうじゃない。
そう言いたくなる。
硝子がいたから、将也は苦しんだだけじゃない

読み終わってから時間が経っても、僕が引きずっているのは、二人がきれいに救われた感じがしないところです。
将也は硝子と再会して、結絃と話す。永束と関わる。昔の同級生たちの顔も、嫌でも視界に入ってくる。
でも硝子は、それを「よかった」と受け取れなかった。
将也が背負ってきた苦しみを知るほど、「私がいたから」と思い詰めてしまう。将也を人の方へ引っ張った再会が、硝子には自分を消す理由になってしまう。
硝子、それじゃないんだよ。
君がいたから将也が壊れた、だけじゃない。
君に会ったから、将也はもう一回、人の方を見ようとしていた。
だから将也は、消えようとする硝子を掴みに行った。
あの場面で将也が硝子を助けようとしたのは、過去を帳消しにするためではないです。英雄になるためでもない。目の前で硝子が消えたら、将也の中に入ってきた人たちまで、また全部遠ざかってしまう。
だから走った。
僕には、そう見えました。
将也も硝子も、相手を傷つけたいわけじゃない。むしろ相手を大事に思っている。なのに、その思い方が下手すぎて、自分を消す方向へ行ってしまう。
それでも、最後の最後で将也は硝子を離さなかった。
その不器用さが、読み終わってからもずっと残っています。
正直、まだ少し重いです。
読後に引っかかったところ
最後に、自分の中でまだ残っている疑問だけ、短く置いておきます。
『聲の形』はなぜ泣けると言われるのですか?
高校で再会したあとの将也と硝子のズレが大きいです。将也は硝子と会って、人の顔を見られるようになっていく。でも硝子は、その将也の苦しみを知って「私がいたから」と抱え込んでしまう。ここが苦しいです。
硝子はなぜ飛び降りようとしたのですか?
硝子は、将也や周囲の関係が壊れていく中で、自分がいることでみんなを苦しめていると思い詰めます。特に将也が何年も×印の世界で生きてきたことを知ったあと、硝子は「私が将也くんをこうした」と受け取ってしまう。ここで硝子は、もう「自分が悪い」以外の読み方ができなくなっていました。
将也はなぜ硝子を助けようとしたのですか?
硝子と会ってから、将也の生活には結絃や永束が入り込んできました。だから硝子が消えようとした瞬間、将也は硝子だけでなく、そのあと自分の生活に入ってきた人たちまで失うところだった。あそこで手が出たのは、そこまで含めて離したくなかったからだと僕は受け取っています。
原作と映画では、どちらが泣けますか?
原作は、将也や硝子だけでなく、周囲の人物の変化まで追いやすいです。映画は、沈黙や表情、音の演出で二人の距離感が刺さります。今回の考察は原作の流れを軸にしていますが、映画を見たあとでも再会後の苦しさはかなり響きます。
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参考情報
なお、本文中の将也・硝子の心理については、公式に断定された設定ではなく、僕が原作と映画を見て受け取った解釈です。作品情報の確認には、講談社公式ページ・映画公式サイトなどを参照しています。



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