子どもに同じことを何度言っても、伝わらない夜がある。
「自分の言い方が悪いのか」「そもそも無理なのか」って、
台所の明かりの下で一人で考える。
で、次の日もまた同じことを言ってる。
ちゃんとできている気はしない。
それでも、やめられない。
僕の祖父は、地元の消防団に入っていた。
子どもの頃の僕にとって、祖父の背中は大きくて、頼りがいがあった。
地域の催しがあれば、自然と世話役に回っていたし、困っている人がいれば、呼ばれる前に動いていた。
呼び鈴じゃなくて、裏口を叩く音で来客が分かった。
近所の人たちは、当たり前みたいに祖父を頼っていた。
今思えば、あれが何だったのか、
当時の僕は何も分かっていなかった。
大人になって、親になって、
ふと立ち止まったときに思う。
自分は、あの背中に追いつけただろうか。
原作の答え合わせじゃない。読んでて、何度も止まったところのメモです。
『葬送のフリーレン』を読み返して刺さったのは、そこだった。
ヒンメルの背中を追っていたはずのフリーレンが、
気づけば背中を見せる側に立っている。
しかも、うまくできているわけじゃない。
同じことをしても、同じ結果にはならない。
それでも、やめない。
この漫画は、
「どうすれば正しく受け継げるか」を教えてくれない。
ただ、
気づいたら立場が変わってしまっていた人間の時間を、
静かに置いていく。
これは正解を当てる考察じゃない。
「こうすればうまくいく」も言わない。
うまくできないまま、
それでも続けてしまう現実を、
逃げずに見にいくための文章だ。
ヒンメルがいた頃、フリーレンは「何も受け取っていない」

ここで書きたいのは、武勇伝の話じゃない。
ヒンメルがすぐ隣にいたのに、
フリーレンの中で何も起きていなかった時間の話だ。
僕が『葬送のフリーレン』を読み返して、
最初に立ち止まったのは、ここだった。
目的だけで進めてしまう
フリーレンは、魔王を倒すための力を持っている。
目的もはっきりしている。
だから、やるべきことは迷わない。
次へ行く、倒す、集める。やることはそれだけになる。
それだけで、旅は前に進んでしまう。
目の前で誰かが困っていても、
立ち止まらなくてもいい理由が、常に用意されている。
ここで一回、手が止まる。
これ、能力の話じゃない。
感情を後回しにできてしまう立場の話だ。
ヒンメルは、どうでもいいところで立ち止まる
ヒンメルは違う。
旅の目的から見れば、
無視してもいい場面で足を止める。
道端の揉め事。
旅の安全には関係ない出来事。
今関わらなくても、誰も責めない状況。
それでも、ヒンメルは立ち止まる。
たぶん僕が一番引っかかるのは、
彼が何かを教えようとしていないことだ。
説明もしない。
正しさを語らない。
ただ、その場でそう動く。
僕はこの振る舞いを見て、
「優しさ」よりも先に、
癖みたいなものを感じた。
同じ時間を共有しても、何も起きないことがある
ヒンメルが立ち止まり、
誰かのために時間を使う。
フリーレンは、それをすぐ隣で見ている。
でも、その瞬間は、
フリーレンの中に「出来事」として残らない。
正直、ここを読むのが一番つらい。
僕は毎回、少し呼吸が浅くなる。
隣にいるだけでは、移らないものがある。
むしろ一緒にいる時間が長いほど、
「分かっているつもり」になってしまう。
フリーレンは、すでに染まっていた
ここは言い切る。
フリーレンは、何も受け取っていなかったわけじゃない。
もう染まっていたのに、気づいていなかっただけだ。
同じ行動を何度も目にする。
同じ立ち止まり方を、横で見続ける。
それで何も残らない人間なんて、いない。
ただ、自覚がなければ、
それは自分の中で封も切られず、
名前も付かないまま残り続ける。
隣にいたのに、何も受け取ってない顔をしてた時間がある。
これが、いちばん怖い。
ヒンメルの死後、フリーレンは“確認せずにいられなくなる”

ヒンメルが死んだとき、世界が壊れたわけじゃない。
魔王はいない。
危険な旅も終わっている。
日常は、そのまま続いていく。
それでもフリーレンの中で、
どうしても放っておけない違和感だけが残った。
毎回ここで、息が浅くなる。
これは悲しみの話じゃない。
理解が、現実に置いていかれる瞬間の話だ。
泣くのが遅れてくる
葬儀の場で、フリーレンは泣く。
でもそれは、
「もっと一緒にいればよかった」という後悔とは少し違う。
フリーレンはそこで、
ヒンメルと過ごした時間を「短かった」と口にする。
エルフである彼女の寿命は永い。
十年は、人生のほんの一瞬だ。
これ、残酷だなって思う。
分かる準備が整った時には、伝えてくれる相手はもう居ない。
フリーレンが知りたかったのは「ヒンメルの本音」じゃない
僕も最初は「伝えたかったんだろうな」って読んだ。でも途中で、その読みが崩れた。
でも、ヒンメルは「伝えるため」に動いてたんじゃないと思う。
フリーレンも、そんな答え合わせはしてない。
ただ、あとから効いてくる。こっちは気づかないうちに。
私は、あの人から何を受け取ってしまっていたのか。
そして、それを知らないまま、
これからも生きていくことが、急にできなくなった。
でも、
相手はいない。
聞き返せない。
返すこともできない。
これ、うちでも普通に起きる。
確かめに行ってる
フリーレンが新しい旅に出た理由は、前向きじゃない。
世界を救うためでも、
成長するためでも、
立派な決意があったわけでもない。
過去を確認するためだ。
ヒンメルと歩いた道。
彼が足を止めた村。
名前を覚えていた人たち。
そこをなぞれば、
自分の中に残ってしまったものの輪郭が見える気がした。
たとえば、親の言葉みたいなものだ。
その場では引っかからなかった一言が、
何年も経ってから急に重さを持つ。
「あのとき言ってたのは、こういうことか」
そう気づいた時、もう本人はいない。
だから僕は、似た景色を探しに行ってしまう。
僕はこれを、後悔という言葉で片付けたくない。
後悔なら、
時間が経てば、少しずつ薄れていくから。
これは「後悔」より、ずっと厄介だ
フリーレンの場合も、後悔じゃない。
知らないうちに受け取ってしまったものが、
すでに自分の行動の元になっている。
そのことに気づいてしまったから。
「これ、私の意思なのか?」、
「それとも、ヒンメルの影響なのか?」
と考えちゃう。
確認しないと、前に進めなくなったんだ。
僕はこの感触を、
親になってから何度か経験している。
子どもに何かを渡してしまっている気がするのに、
自分が何を渡しているのか、うまく言葉にできない。
それでも、渡すのは止められない。
自分はヒンメルになれないと分かっても、それでも同じことを続けてしまう

ここまで来れば、何か答えが出ると思っていた。
旅を続ければ、整理がつくとか、納得できるとか、
そういう着地を、どこかで期待していた。
でもフリーレンが手に入れたのは、答えじゃない。
自分は、ヒンメルにはなれない。
そういう結論だけが残る。
僕もこの感覚を、よく知っている。
同じことをしても、同じ空気にはならない
フリーレンは、ヒンメルがかつて立ち止まった場所で、同じように立ち止まる。
困っている人を見かければ、手を貸す。
魔法で解決できることは、黙って片づける。
行動だけ見れば、ほとんど同じだ。
でも、返ってくる反応は違う。
感謝のされ方も、距離の縮まり方も、どこか噛み合わない。
ここ、読んでて戻る。
これは、やり方の問題じゃない。
同じ手順でも、結果は違う。
笑えないくらい、そうなる。
「再現できない」と分かる瞬間は、何度も来る
ヒンメルなら、ここで笑ったかもしれない。
ヒンメルなら、もう一言、違う声をかけたかもしれない。
そんな仮定が、何度も頭をよぎる。
でもフリーレンは、その通りには動けない。
言葉の選び方も、
間の取り方も、
距離の詰め方も、どうしても違ってしまう。
ここで、嫌でも分かる。
自分は、ヒンメルの代わりにはならない。
これは挫折というより、
どうにもしがたい現実だ。
それでも、やめる理由が見つからない
正直に言えば、
ここでやめてもいい理由は、いくらでもある。
向いていない。
同じ結果にならない。
誰かの代わりにはなれない。
でもフリーレンは、やめない。
うまくいかないと分かっていても、
次の村で、また同じことをする。
誰かに褒められるわけでもない。
正しいと認められるわけでもない。
それでも、手は止まらない。
僕はここで一回、手が止まった。
やめられない理由が、見つからないから。
戻れなくなる
これを「覚悟」と呼ぶのは簡単だ。
でも僕は、そうは見ていない。
これは、何かを「覚悟」した結果じゃない。
もう、その立場に立ってしまったから戻れない。
誰かの背中を見続けた人間は、
気づかないうちに、自分が見られる側に回っている。
その事実に気づいた時点で、
引き返すことは、もうできない。
達成感はない。
なれないと分かっても、続いてしまう現実
それだけだ。
読み進めるうちに、立場が反転している読者へ

ここまで、フリーレンの話をしてきた。
ヒンメルの話をしてきた。
「漫画」を読んでいるはずなのに、
物語を追っている感覚が、少しずつ薄れていく。
いつの間にか、
「見ている側」でいられなくなっている。
追っていたはずの背中が、もう前にない
最初は、
ヒンメルの背中を追うフリーレンを見ていた。
分からないままなんだな、とか。
気づくのが遅かったんだな、とか。
少し距離を置いて、
評価する側に立っていた。
でも、どこかで感触が変わった。
フリーレンの行動が、
「良い」「足りない」で測れなくなる。
それを見ている自分の立ち位置のほうが、
気になり始めた。
あれ? と思う。
これは他人の物語だったはずなのに。
うまくできていないのに、やめていない
思い通りにいかない。
正解が分からない。
ちゃんとできている感じもしない。
それでも、次の日も同じことをしている。
声をかける。
手を出す。
失敗して、距離を測り直す。
僕はここで、はっとした。
フリーレンの姿と、
自分の日常が、
きれいに重なってしまったからだ。
「やめればいいのに」と言えない。
自分が、もうやめていない側だから。
追っていた側から、見られる側へ
かつては、
「どうしてあの人は、あんなふうにしていたんだろう」と考える側だった。
もっと上手くできたはずだ。
別の選択肢もあったはずだ。
そうやって、背中を眺めていた。
でも今は違う。
なぜ自分は、こうしているんだろう。
問いの向きが、完全に入れ替わっている。
追っていたはずの背中は、もう前にない。
気づいたときには、
自分が誰かに見られる側に立っている。
その事実に、準備はできていなかった。
安心させてくれない
この作品は、安心させてくれない。
「それでいい」とも言ってくれない。
正解も、合格点も、用意されていない。
残るのは、
うまくできていないまま続いてしまう現実だけだ。
でも僕は、ここに価値があると思っている。
できていない。
分からない。
それでも立ち去らずに、そこに立っている。
その姿を、なかったことにしない。
『葬送のフリーレン』は、
親の背中を追う物語の漫画だ。
でも、背中を追う物語だけじゃない。
読み終わる頃には、自分がもう背中を追う側ではなく、背中を追われる側になっていることに気づいてしまう。
それだけで、この作品は厄介で、
だからこそ、手放しがたい。
まとめ

フリーレンは、ヒンメルになれなかった。
同じことをしても、同じ結果にはならなかった。
それでも、やめなかった。
理由は語られない。
正しいとも、間違っているとも言われない。
ただ、
立場が変わってしまった人間の時間が、
そのまま続いていく。
僕は、この終わり方が好きだ。
救われたとも言えないし、
何かを成し遂げた感じもしない。
でも、ここに立っている人間は確かにいる。
うまくできていない。
正解も分からない。
それでも、立ち去らずに続けている。
もしこの漫画を読みながら、
少しだけ胸の奥が重くなったなら。
ページを閉じたあと、
なんとなく立ち止まってしまったなら。
それはきっと、
あなたがもう戻る側ではなくなっているからだ。
よくある質問(FAQ)
フリーレンは、この物語の中で成長しているの?
正直に言うね。
僕は「成長した」とは思ってない。
できることが増えたわけでも、
何かの正解に近づいたわけでもない。
変わったのは、立っている場所だけだと思ってる。
追う側だったのに、
いつの間にか見られる側に回ってしまった。
その変化が、結果として「変わったように見えている」だけじゃないかな。
ヒンメルは、フリーレンに何かを教えようとしていたの?
僕は、教えようとはしていなかったと思う。
作中でヒンメルは、
「こうしろ」と言わないし、
考え方を説明もしない。
困っている人を見かけると足を止めて、
時間を使った。
それだけ。
でもその振る舞いが、
結果としてフリーレンの中に残ってしまった。
僕には、そういう描かれ方に見える。
この作品は「親子」をテーマにした漫画と考えていい?
親子関係がはっきり描かれているわけじゃないから、
「親子の物語です」と言い切るのは違うと思う。
でも、背中を見て影響を受けてしまう関係は、
何度も出てくる。
親子でもいいし、師弟でもいい。
先輩後輩でも、職場の上司でもいい。
「教えられていないのに、引き受けてしまった側」
その感覚に引っかかるなら、
この読み方はたぶん間違ってない。
子育てをしていなくても、この考察は当てはまる?
当てはまると思う。
子育ては、分かりやすい一例でしかない。
誰かのやり方を横で見続けて、
同じことをしているのに同じ結果にならない立場に来てしまった人なら、
どこかで重なる部分があるはずだ。
この記事で、いちばん伝えたかったことは何?
正解や教訓を渡したかったわけじゃない。
『葬送のフリーレン』を読み進めるうちに、
自分がもう「追う側」ではなくなっていることに、
ふと気づいてしまう。
その状態を、
無理に肯定しなくていいし、
かといって否定する必要もない。
「ああ、そういう場所に立ってたんだな」って、
一度立ち止まれる。
それだけ残れば、今日は十分。たぶん。

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