忙しい毎日の中で、
感情をいちいち動かしていたら身がもたない、
そう感じる瞬間がある。
期待しないほうが楽で、
深く踏み込まないほうが安全だと、
どこかで学んでしまった人も多いと思う。
『君の膵臓をたべたい』を観て、
「感動した」と言い切れなかった人は、
たぶん、そうやって心の温度を下げて生きてきた側だ。
泣けなかったわけじゃない。
でも、あのラストを前にして、
胸の奥に引っかかるものが残った。
拍手していいのか分からないまま、
エンドロールを眺めていた。
この記事は、
その違和感を「きれいな感動」に変換するためのものじゃない。
むしろ、なぜ納得できなかったのかを、
春樹という人間の選択と一緒に、正面から見ていくための考察だ。
救いは用意していない。
前向きな教訓もない。
ただ、読み終えたときに、
「あのラストに立ち止まった自分は、間違っていなかった」
そう思える場所には、一緒に立ちたいと思っている。
第1章|「あのラストに納得できなかった」って声が、いちばん正直だ

観終わったあと、席を立つタイミングが分からなかった。
泣いたのに、落ち着かない。
「いい映画だった」と言った瞬間、胸の奥に残ってる何かを、無理やり押し込む感じがした。
この作品のラストについて感想を探しにいくと、似た反応が並んでる。
- 亡くなり方が理不尽すぎて、気持ちの置き場がない
- 悲しいのに、怒りが混ざって落ち着かない
- 春樹のその後が静かすぎて、「え、これで終わるの?」となる
- 泣けたと言われるほど素直に泣けず、自分だけ遅れている気がする
ここで厄介なのは、引っかかる場所が人によって違うことだ。
亡くなり方に引っかかる人もいるし、春樹の“その後”に引っかかる人もいる。
どっちが正しい、じゃない。
落ち着けない理由が、まだ自分の言葉になっていないだけだ。
僕がこの記事でやるのは、ラストの「正解」を配ることじゃない。
納得できなかった気持ちを、きれいに丸めない。
その代わり、物語の流れと、春樹の心の動きに沿って、判断を出しながら一緒に歩く。
もしかしたら、納得できなかった理由は、春樹の選択そのものじゃない。
それを「分かる」と感じてしまった自分に、薄く寒気が走ったからかもしれない。
第2章|春樹の心は、溶けかけては止まり、凍る人間だった

物語の後半だけを見ていると、春樹は「変わらなかった人」に見える。
感情を爆発させるわけでもないし、分かりやすく立ち直る様子もない。
でも、それは何も起きなかったからじゃない。
春樹の心は、最初からずっと同じ温度だったわけでもない。
彼はもともと、他人と距離を取ることで自分を保ってきた人間だ。
感情を動かさなければ、傷つくこともない。
期待しなければ、失うものも少ない。
それが彼にとって、いちばん壊れにくい状態だった。
そこに、さくらが現れる。
彼女は無理に踏み込まない。
でも、完全に放っておくわけでもない。
一緒に本を読み、連絡を取り合い、時間を共有する。
春樹の世界に、少しずつ人の気配が戻ってくる。
確かに、心は溶け始めていた。
ただし、それは全面的な変化じゃない。
春樹は、どこかでずっとブレーキを踏んでいる。
理由ははっきりしている。
さくらは、いずれいなくなる人だった。
だから春樹は、溶かしきらない。
恋人にはならない。
未来の話をしない。
期待を大きくしない。
これを冷たい態度だと感じる人もいると思う。
でも僕には、そうは見えなかった。
凍らせている、なんて言うと少し格好がいいけれど、
実際にやっていたのは、これ以上考えないようにしていただけだと思う。
春樹は、さくらとの関係を「特別」にしすぎないことで、
別れが来たときに自分が壊れないようにしていた。
この時点で、彼の中には一つの前提ができている。
別れは来る。
でもそれは、想定された形で来るはずだ、という前提だった。
第3章|想定されていた別れは、理不尽な形で裏切られた

春樹の中では、別れの形は決まっていた。
さくらは病気で亡くなる。
それは怖い未来だけど、少なくとも心の準備ができる別れだった。
残された時間を数え、約束を交わし、
その日が来たら受け止める。
春樹は、そうやって自分の感情をコントロールしていた。
でも、現実の別れは違う形で訪れた。
さくらは、病気ではなく、通り魔事件で亡くなった。
ここで起きているのは、ただの不意打ちじゃない。
準備してきた別れそのものが、無効にされたのだ。
覚悟する時間は奪われ、
言葉を交わす余地もなく、
「その日」は、何の前触れもなく訪れた。
もし病気で亡くなっていたら、
悲しみは深くても、覚悟はできたはずだ。
納得できたかどうかは別として。
でも、現実は覚悟する時間が与えられなかった。
怒りを向ける相手もいない。
意味を探しても見つからない。
この瞬間、
「準備すれば耐えられる」と信じていた自分の考え方が、壊されたんだと思う。
だから多くの観客は、ここで立ち止まる。
「そんな終わり方、あるのか」と思う。
その違和感は、エンドロールが終わっても消えない。
そして春樹は、ここから先、
行き場のない感情を抱えたまま、生き続けることになる。
第4章|さくらの死後、春樹は一度壊れ、また心を凍らせた

さくらが亡くなった直後、春樹は大きく取り乱さない。
泣き叫ぶことも、誰かに感情をぶつけることもない。
この静けさは、落ち着いているからじゃない。
感情を出した瞬間、自分が崩れると分かっていたからだと思う。
彼は、まず心を凍らせる。
感じない。
考えない。
毎日の動作だけを続ける。
冷たい人間になったわけじゃない。
さくらと出会う前の自分に戻っただけ、
そうしないと、次の一日をやり過ごせなかっただけだ。
その状態が変わるきっかけは、さくらの母親の言葉だった。
さくらが、春樹のことをどう思っていたのか。
どんな時間を、どんな気持ちで過ごしていたのか。
それを、本人ではない第三者の口から聞かされる。
ここで初めて、春樹の感情は逃げ場を失う。
息が詰まり、身体が動かなくなり、
それまで必死に閉ざしていた感情が漏れ出し、
心が音を立てて崩れる。
よくある物語では、ここで閉ざしていた心の蓋が開く。
でも、この物語は違う。
心の蓋は開かない。
一度、氷が割れただけだ。
この流れの中で、春樹はある言葉を口にする。
「君の膵臓をたべたい」
この言葉は、きれいな追悼でも、分かりやすい愛の告白でもない。
その場でうまく説明できる種類の言葉じゃない。
正直、この場面で「これで春樹は救われた」と感じた人とは、
僕は少し距離がある。
この言葉が出てきたからといって、
春樹の人生が好転したわけじゃない。
ただ、凍った心の奥から、
どうしても外に出てしまった言葉だった。
そして春樹は、このあとまた、心を凍らせて生きていく。
完全に壊れないために。
これ以上、失わないために。
この言葉が何だったのかは、
最後の章で、春樹という人間をまとめて中で考える。
第5章|それでも春樹は、凍ったまま生きていく人間だった

第4章で出てきた、あの言葉。
「君の膵臓をたべたい」
これを、さくらへの愛の告白として読むこともできる。
喪失を乗り越えるための、前向きな宣言だと受け取る人もいると思う。
でも、ここまで春樹の選択と反応を追ってきて、
僕にはどうしても、そうは見えなかった。
この言葉は、亡くなったさくらのためのものじゃない。
きれいに別れをまとめるための言葉でもない。
あれは、さくらを思いやる言葉というより、
これから先も、凍った心のまま生きていく自分を納得させるための言葉だった。
春樹は、さくらを失ったあと、
もう一度、心を凍らせることを選んだ。
溶けきることも、立ち直ることもなく、
壊れない温度まで感情を下げて、日常に戻っていく。
その生き方は、強くもないし、美しくもない。
胸を張れるような選択でもない。
でも、嘘ではない。
世の中を見渡してみると、
春樹と同じように、
心を凍らせたまま生活を続けている人は、きっと少なくない。
傷つかないために、深く関わらない。
期待しないことで、自分を守る。
それでも仕事はあり、生活は続く。
春樹の生き方が冷たく見えるなら、
それはたぶん、同じことを自分もやっていると、どこかで分かっているからだ。
この物語が胸に残るのは、
救われたからでも、感動したからでもない。
今の世界では、あまりにも現実的な生き方が描かれていたからだと思う。
きれいに納得できなくてもいい。
前向きな結論が出なくてもいい。
それでも、
「あのラストに引っかかった自分は、おかしくなかった」
そう思えたなら、ここまで読んだ意味はもう十分だ。

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